いま、ここに

子持ちの博士課程学生です。「いま、ここに」生きていくための試行錯誤の記録。

博士論文は何のために書くのか

ふと気づいたこと。

ずっと、この博士論文のために、色々なことを犠牲にせざるを得ないと思っていたけれど、それをひっくり返してみてみれば、こんなに大量の文章を書くという稀有なチャンスを得ていると考えることもできる。

ある本を読んで(この本のことは今度また書きたいと思っているけど、衝撃がすごく大きかったのでまた今度)、筆者がただ歩くだけの行脚の旅を続けて気づいたことがあったという一節を思い出す。

私がやっていることは、確かに論理的思考が必要とされるけれども、ひとつの「書く」という行為に没頭すること。

これによって得られるものは、もしかしたら学位とか、科学的思考とか、そういうことではないのかもしれない。いや、ないと思ったほうがむしろ合点がいく。母国語ではない言語で、300ページもの大作を書くことは、科学的思考を得るのに効率がいい方法とはとても思えない。

効率がいい(と思われる)方法や、今まで犠牲にしてきた(と私が思っている)ことも、博士課程が終わってからいくらでも試すチャンスがある。

では、これで得られるものはなんだろう。それはまだわからないけども、この一つの行為に埋没すること、そこで何かを得られると信じて、今一歩ずつ前に進んでいきたい。